ある日、鏡に映る自分の顔を見て、ふと気づく。「なんだか、おでこが広くなった気がする」。あるいは、髪をかき上げた時に、額の両サイド、いわゆる「M字」の部分の地肌が、以前よりも目立つようになっている。その、生え際が後退していく感覚は、多くの男性にとって、男性型脱毛症、すなわち「AGA(Androgenetic Alopecia)」の始まりを告げる、最も分かりやすく、そして最も恐ろしいサインの一つです。なぜ、AGAは、この生え際から進行することが多いのでしょうか。その理由は、AGAの直接的な原因物質である、強力な脱毛ホルモン「ジヒドロテストステロン(DHT)」に対する「受容体(レセプター)」の分布にあります。このDHTを受け取るアンテナである受容体は、頭皮の中でも、特に、前頭部(額の生え際)と、頭頂部(つむじ周り)の毛根に、集中して存在しているのです。一方、後頭部や側頭部の毛根には、この受容体はほとんど存在しません。そのため、AGAが進行しても、後頭部や側頭部の髪は、比較的、最後まで残りやすいのです。テストステロンという男性ホルモンが、5αリダクターゼという酵素の働きによってDHTに変換され、そのDHTが、生え際の毛根にある受容体と結合する。すると、毛根に対して「髪の成長を止めよ」という、誤った脱毛シグナルが発信されます。このシグナルを受け取った髪の毛は、本来であれば数年間続くはずの「成長期」が、わずか数ヶ月から1年程度に短縮されてしまいます。その結果、髪は、太く、長く成長する前に、細く、短い「産毛」のような状態のまま、抜け落ちていってしまうのです。この、ヘアサイクルの乱れが、生え際の部分で集中的に起こることで、徐々に、しかし確実に、ヘアラインは後退していきます。生え際の後退は、単なる加齢現象ではありません。それは、あなたの頭皮の下で、DHTという見えざる敵による、静かなる侵攻が始まっていることを示す、紛れもない「病気」のサインなのです。
生え際の後退、それはAGAの典型的なサイン