髪の変化と年齢重ねる自分を受け入れる旅
いつの頃からだろうか、洗面台の鏡に映る自分の姿に、少しずつ変化を感じるようになったのは。生え際が少し広くなったような気もするし、頭頂部の髪も、若い頃のような勢いはない。いわゆる「薄毛」というやつが、自分にも訪れつつあるのかもしれない。最初は抵抗があった。まだ大丈夫、気のせいだ、と自分に言い聞かせようとした。育毛剤を試したり、髪型で誤魔化そうとしたりもした。でも、心のどこかで、これが年齢を重ねるということの一部なのかもしれない、とも感じていた。若い頃は、髪がフサフサなのが当たり前だと思っていた。それが自分のアイデンティティの一部であるかのように。でも、年齢を重ねるにつれて、人は外見だけでなく、内面も変化していく。経験を積み、考え方が深まり、若い頃にはなかった落ち着きや、ある種の風格のようなものが備わってくることもある。髪の毛が少し減ったからといって、自分の価値そのものが減るわけではない。そう思えるようになったのは、少し時間が経ってからだったかもしれない。もちろん、完全に気にならなくなったわけではない。今でも、ふとした瞬間に「ああ、やっぱり薄くなったな」と思うことはある。でも、それを過度にネガティブに捉えることはなくなった。むしろ、今の自分を受け入れ、その上でどうすればより良く見えるか、どうすれば心地よく過ごせるかを考えるようになった。短くカットして清潔感を保つようにしたり、時には帽子をおしゃれのアイテムとして楽しんだり。無理に若々しく見せようとするのではなく、年齢相応の、今の自分らしいスタイルを探すようになった。AGA治療という選択肢があることも知っている。もし、どうしても気になるようであれば、専門医に相談することも考えるかもしれない。でも、今のところは、この自然な変化と、もう少し付き合ってみようと思っている。大切なのは、髪の毛の本数や見た目だけに囚われず、年齢を重ねることで得られる他の豊かさに目を向けることなのかもしれない。経験、知識、人との繋がり、そして自分自身の内面の成熟。髪の変化は、そんな人生の旅路における、一つの小さな出来事に過ぎないのかもしれない。そう考えると、少しだけ心が軽くなる気がする。鏡の中の自分に、まあ、これも悪くないかな、と微笑みかける。そんな日々も、また良いものだ。